そしてかれは、人がそれを無意識に知っているんじゃないか、という。いきなり何でも自分のほしいものを直接ドンと手に入れちゃえば、かえって不満に思う。むしろそれを手に入れるプロセスが重要なのかもしれない。それをあらわすものの一つは、役所の名前だ。国民の幸福が重要なはずなのに「幸福省」というのはない。真理探究が重要だといいつつ「真理省」はない。平和を望むといいつつ「平和省」はない*1。商売繁盛を狙いつつ、「繁盛省」はない。みんな、そうしたものはあくまで結果であって、それ自体を直接操作目的にしてはいけないというのを知っているんじゃないか、という。
これはあくまで一説だけれど、ぼくは重要な論点だと思う。人が幸福を本当に得るためには、幸福を直接考えちゃいけないのでは? アラニス・モリセットだか禅の悟りだかみたいな話だけれど。でも幸福研究は往々にして、それを無視してしまうように思うのだ。